日本に初めて来たのは1998年。最初に訪ねた場所の一つが多分中野だったのかな。そこがたまたま訪れた駅だったのかは分からないけど、あの斜めの形をしたあのビルだけは、まるで子供のころの思い出のように今でも鮮明に覚えている。
2014年ぐらいから中野ブロードウェイで様々な活動を始めた。その頃、中野経済新聞の編集者(自称:中野ブロードウェイ応援大使)杉山司さんと中野区産業振興推薦機構(ICTCO)という機関を通して知り合い、それ以来とてもお世話になっている。2018年から中野区議会議員になった杉山さん。中野区を代表するにもっとも相応しい方だと個人的には思うなぁ。
私にとってのもう一つの恵まれた出会い。中野ブロードウェイの商店街振興組合事務局長の金子義孝さん。86歳だけどそのお元気さに感動。現在のコロナ禍の大変な状況でも、お二人と話しバイタリティー溢れるそのお人柄に触れいつも感心させられる。
中野ブロードウェイは不思議なところ。サンモールを含めてユニークな商店街。中野駅周辺の歴史は長い。江戸時代から始まり、駅前の広場、サンモール、中野ブロードウェイの完成までその歴史はとても興味深い。知らない人も多いかもしれないが、ブロードウェイの地下一階には魚屋さん、肉屋さん、八百屋さんなどが今も繁盛している。その上、呉服屋さん、占い屋さん、服と生活に関するお店などが昔からある。もちろん、現在の中野ブロードウェイはサブカルのイメージが強い。これはまんだらけの成功が大きいでしょう。1980年に4階の2.3坪の小さなお店から始まり、今では同じビル内に30もの店舗がある。さらに全国でも14店舗まである。90年代に入り、漫画の中古販売が人気になり、まんだらけをはじめ、周りのオタク文化関連の店が盛んになった。
こうやって頑張っているお店を見ると、今のコロナのこの状況を乗り越えようとしている時に大きな力をもらう。彼らは、まるで穏やかな海に向かうため、嵐の中、頑張って船を操縦するような勇敢な操縦士のようだ。
自分には、何ができるのだろうと思う。中野について文章を書いたり、ブログを書いたりするのも一つだと思った。今年は早く過ぎてほしいという人もいるけど、逆に今年こそ動き出すことが大事だなと私は思う。
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